タイトル「西村と協力できぬなら~」の部分。
ついに、山下大将がゲリラ問題に端を発した二人の参謀副長対立問題に対し、
宇都宮直賢参謀副長に対して詰め寄ったのです。

まず、宇都宮直賢『南十字星を望みつつ』私家版の該当箇所を掲載します。

私は西村副長に対して比島のR.O.T.C出身の元将校たちの検挙を含む、
ゲリラ容疑者の無差別逮捕は百害あって一利ないことを縷述して、その翻意を
求めたが問題は一向に解決せず、われわれの間はとても刺々しいものになっていた。

司令官はこれを耳にされ
「宇都宮の奴は西村副長の対ゲリラ施策に協力しようともせぬどころか、これを妨害している」
という風に取られたようだった。
そして、勢いの趨く処、ある日私に
「君は西村と協力が出来ぬようなら内地へ帰って貰うことにするがどうか」と厳しい語調で
云われ、席にあった武藤参謀長が仲に入ってまあまあと執り成して呉れた。
たまたま私を通じて内地帰任を申し出て部屋に来ておられた比島政府財政顧問の原口(武夫)氏
(前大蔵事務次官)が眼を白黒して呆然としておられたことを思い出す」

以上です。


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宇都宮参謀副長、よく耐えたと思います。
この眼で「虎」将軍に睨まれたら震えあがるしかない。
元事務次官でさえも目を白黒させてしまうこの一幕を
一応見ることができるゆとりがあるあたり、宇都宮さんも強い・・・。
R.O.T.Cとは、米軍が1912年に、統治下のフィリピン大学に設けた予備役将校訓練課程のことです。

これまでのエントリーでもいくつか書いてきたように、
西村と宇都宮両参謀副長の間で意思疎通がないことを村田大使も気にしていたところでした。

西村参謀副長は山下大将の第十四方面軍司令官着任と同時にフィリピンに来たので、
まったく比島の事情を知らない。山下大将と同じぐらい知らない状況でした。
山下大将がシンガポール戦時にゲリラ討伐を徹底的にやったことを思い出し
(この時は部下ではない。第一方面軍司令官時代に部下参謀になったので、
その時の話は聞いていただろう)

今度も同じようにするしかない。
現実、桜兵営(第十四方面軍司令部)にもゲリラが入り込んでいたのだから。

そのゲリラたちは、レイテ決戦に気を取られていた第十四方面軍の劣勢振りをつぶさに
みて米軍側に通牒しているだろうとなれば、
山下大将、西村参謀副長の対応はもっともでもある・・・。

村田省蔵『比島日誌』の1944(昭和19)年11月16日には

「午前10,30 宇都宮大佐来訪。曰く軍に於て愛国連盟なるものを作らせ、
リカルテ将軍を主班としラモスを其中軸とするの計画進行中と聞き、当事者(其の名を逸す)を
呼び糺したるに、親日派を以て団体を組織し、我方に協力せしめんとすの答あり。
自分は事情を知らずして斯かる軽挙に出づるを戒めたるに、
最近参謀長より呼ばれ、軍司令官も亦傍に在り、従来の遣り方につき叱責せられ、
連盟作成の企図を阻むが如きは以ての外なりと攻撃せられたり。
リカルテはラモスと共に事を為すを好まず。
ラモス又上司が期待するほど労働力の蒐集をなす能わざるを云ふも肯ぜられず。
(中略)
尚参謀長の如きは、協力さへすればラモスの政治的意図が少し位あっても構はぬではないかと
言ひ居れりと。
宇都宮は辞表をさし出さんかと考へしも思ひ留まり一応此点報告に参上せるなりと云々。」

(太字は筆者)

この当時、山下・武藤とも西村参謀副長の意見を採用し、宇都宮の意見には耳を傾ける様子は
ありませんでした。
武藤がラモスの話など細部のことで宇都宮を叱っていた。武藤の隣には軍司令官がいる。
参謀長が細かい話をするのを見守っているのが軍司令官だけど、
おそらくこの時だろうと思います。

「君は西村と協力が出来ぬようなら内地へ帰って貰うことにするがどうか」と言い出したのは。

武藤は参謀長としての当時の立場で叱っているだけで、
宇都宮さんを更迭してほしいとまでは思っていなかっただろうから
最近特にイライラが激しくなっている山下さんを止めようと
「まあまあ」と宥めにはいり、一方で宇都宮の考えは聞かないということで終わったように
思います。

11月の山下大将は、よく怒鳴っていました。
稲田正純中将(当時第三船舶輸送司令官)が書いているように
(『軍務局長武藤章回想録』)
山下大将が、レイテに師団を送った優秀な船団員に賞詞を与えるというので稲田正純中将もその場に
司令官として立ち会っている時に武藤参謀長と話していたのですが、
向うで山下大将の怒鳴り声が聞こえた時、武藤さんは
「山下さんも最近いらいらしているから・・・」と静かに言って山下さんの方へ移っていったと
書いています。
おそらくこの日辺りに「西村と協力できないなら内地へ帰れ!」が出たのではないでしょうか。

武藤さん、輔佐が大変ですね・・・。
山下さんの怒鳴り声が聞こえるやさっと寄り添いにいく・・・。
宇都宮参謀副長ともそんなに関係はできていない時期ですが、宇都宮参謀副長を
敢えて排除しなかったこと。
軍司令官の意図であれば、一緒に攻撃してしまうのが、普通の参謀長だと思います。
飯村穣・南方総軍参謀長が黙って寺内寿一元帥に従ったように。

武藤さんは宇都宮さんを叱責はしたが、参謀という職種に在る者同士の議論で
仕事の一つ、としか思っていないと思います。
そこに人格をいれない。
宇都宮が自分に反論してくるのはそれなりの理由もあるのかもしれない、と頭の片隅には
入れようとしていたかもしれない。
それでもし宇都宮のいうことが正しければ、自分がいの一番に軍司令官をお支えする。
そのつもりだったに違いありません。